考える★アシ

加奈が北海道で日々考えたこと、感じたこと。 旅の話、ニュージーランドの話、恋愛話、健康のはなしをおりまぜて。

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留学の理由

今年も交換留学の受け付け希望の時期がやってきた。
この時期になると後輩達は先輩に
留学先の情報を聞いて回るのに忙しい。
私のもとにも何人か、カルガリーのことを聞きにくる。
そのたびに私は自分が留学に行った頃の事を思い出す。


私は留学に行く前に、友達からよく
「どうしてカルガリーに行くの?」
「カナダに行って何するの?」
「何のために留学するの?」
と聞かれていた。
大学で留学の話しがよくでる私の学科では
ただ英語を学びに行くための語学留学と
英語を使って大学で学ぶ交換留学の
違いをみんなよく知っていた。
だから友達の質問には
「英語を勉強するだけじゃないよね、
 カルガリーで何を特別に勉強したいの?」
というメッセージが込められているようだった。

私は
「開発学を学ぶの」
「開発と教育について勉強したいの」
「カナダから見たアジアの見方を知りたいの」
などの理由をなんとか出していった。
他の交換留学先であるエジプトや香港ならば
もう少し理由もわかりやすくなるのかもしれない。
直接、私の勉強していた開発教育に関わりが深いからだ。
でもどうしてカナダなのか。
先進国のカナダに行く理由は。
私は聞こえがいい、かっこいい理由を探していた。


私はカルガリーに行ってからも悩んだ。
授業をとるときも、なんとか開発に関するものをとり、
色々勉強してきたんだー!と人に言えるようにしたかった。
留学から帰ったら決まって
「何を勉強してきたの?」と聞かれる。
それに答えなければならない。
そんなプレッシャーに追い詰められていった。


結局、彼氏に色々と聞いてもらってもらった。
留学にたいそうな理由をつけなくてもいい
他人に言える留学の理由なんかいらない
何をしてきたのかと聞かれたら「遊んできた」でいい
がんばる必要はないんだよ、と言ってもらった。
本気を出すコースをひとつとって、
あとは遊んでいい。英語を学ぶのは立派な理由だ。
遊びに行ってカナダの文化だって学べる。
楽をして生きなさい。
そうやって私の張り詰めたものを解いていってくれた。
人の評価の目から私を解放してくれた。


がんばらなくても、走りつづけなくても
かっこよくなくても、ラクしていても
見捨てないでいてくれる人がいることが
私を救ってくれている。



うわっ。ノロケ?(笑)


まあとにかく、留学は
楽しんでなんぼのもんだ!
と最近は思う(笑)
何をするか考えずにとりあえず行っても
十分につらいから。


みんなたくさん飲んでおいで♪
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遠距離恋愛の努力

私は北海道ー九州という遠距離でもう5年目。

遠距離恋愛をしていると、確かに寂しい。
そりゃあ一緒にいられるなら、そのほうがいい。
だから、私の場合は好きで離れたところにいる訳ではないと思う。
できることなら、早く一緒に生活したいと思う。

一緒にいれば、相手と一緒にいる時間が長くなり、
コミュニケーションもとても楽になる。
言葉で表さなくても伝わる部分ができたり、
何か違和感を感じてもすぐに確認できる。
一緒にいる、ということが信頼を築くだろう。

となると遠距離恋愛って、
その時点で2人の間には距離があり、
放っておけば離れてしまう、
そんな反対のベクトルが働いている。
お互いに向かい合って、歩み寄らなければ
簡単に流され、離れてしまう関係。
お互いの努力が必要となってくる。

コミュニケーションを増やす努力をし、
マンネリにならないように工夫をする。
お互いの変化を喜び合う。
正直になって、
言葉ではっきりと思ったことを伝える。
特に言葉にすることって大事。
近くにいたら言わなくても伝わるかもしれないけれど
遠くにいたら、言わないと絶対に伝わらない。
信頼を築くためにも、言うことって大事。
好きだってことも、
うれしいってことも、
悲しいってことも、
傷ついたってことも。

一緒にいても、相手に気持ちを伝えない人は多い。
常に恋愛を続けられるように努力できずに、
マンネリに陥ってしまう人もいる。
そう考えると、私はこの遠距離恋愛の方法は
悪くないかな、とも思う。


努力していると
「遠距離恋愛って大変だね」といわれる。
確かに大変だけれど、お金もかかるけれど、
会えない時間があるから、
とても会いたいって思う。
それにいつか一緒になれる日を考えれば
これだけ苦労しても、価値はあるかなって思う。


そんなわけで
今日のアシは、なんだかノロケなような
感情的なものになってしまいました。

酔ってるからです多分(笑)

お許しを。

堂々と妊娠を語る高校生

昨日に引き続きH関係ネタ。

私が通学につかう電車はたいてい2両編成で小さい。
この間向かいに女子高生が座って携帯で大声で話していた。
携帯というのは、どうも周りの人の興味をそそるらしく
他人のことでもつい、何を話しているのか聞いてしまう。
相手は彼女の友達らしかった。


「今さあ、おろすためにお金みんなから集めててー、
 でも結構かかるじゃん?保険使わないから。
 なかなか集まらなくてさあ。貯金1万ないし。
 したらアイツから電話きたわけ。
 なんで俺に金の相談しないんだ、って怒っててさ。
 払えねーくせにいい事いってんじゃねーよ。
 っていうか別れたんだから相談しねーって。
 自分でどうにかするってねー。頼らないし。
 だらしないんだよ。人を妊娠させといてさ。」



一同沈黙。

みんな聞き耳たてているのがわかる(笑)


その車両には、どちらかというと年配の方が多く
それぞれ色々なことを考えていたのだろう。

きっと
「今の若い子は簡単にSEXをして、簡単に妊娠して
 命をなんだと思っているんだ。不謹慎だ。」
と思っていた人も多かっただろうし、

「妊娠したことをこんな公共の場で堂々と、
 恥ずかしげもなくしゃべるなんて無神経だわ。
 信じられない。」
と思っていた人もいただろう。


でも、考えてみれば高校生がSEXをするのは
高校生にとっては割と当たり前の時代であり、
それを社会が受け入れていないのが現実である。
高校生にSEXは早過ぎる、してはダメだと言ったって
あまり効果はないだろう。
むしろ、SEXがタブーとされているから
妊娠の危険性や避妊の仕方も曖昧にしか知らず、
望まぬ妊娠をしてしまう人が増えているのではないだろうか。


私がその場で思っていたことは


中絶するとして苦しむのは女だ。
しかも、周りの人はSEXは悪いという目で見て
中絶する若い女の子は責められる。
冷たい目で見られる。


もちろん彼女の責任がないわけではない。
でも2重に苦しまなければいけないなんて。

彼女に「がんばれ」と言いたかった。

Hをしてもいいのかなあ?

この間何気なくホームページをみていて、
ある産婦人科の先生の悩み相談をみつけた。
そこにある質問が載っていた。

「私は好きな男の子がいます。
 私たちは付き合っていて、一緒にお風呂に入ったり、
 一緒のベッドで寝ています。
 彼はセックスをしたがっています。
 しても大丈夫でしょうか。

 ちなみに私たちは小学6年で12歳です


……ぶっ!!

驚きましたねー。
小学6年生でもこんな悩みを持つ時代なんだー。
といってもいられない。
これに対して産婦人科の先生は真摯な態度で答えていました。
いい、ともダメ、とも言えない状況で
私は先生のコメントは精一杯だったと思いました。


小学生でも生理が来ていれば
十分妊娠することができる。
その先生は中絶を余儀なくした小学生を
今までに2人見てきたそうだ。
彼ら二人は、避妊方法をどうやって学べるのか。
妊娠したときの責任はどうやってとるのか。
セックスはまだ早い、そんなのダメとは言わず、
興味本位でやってみるにはあまりにも重大である事を
やさしく説明していた。


ここまでセックスがメディアで普通にとりあげられて
インターネットでも簡単にアダルトにアクセスでき
性産業がこれだけ盛んになってきたのだから
当然性の少年齢化が進む。
そんなとき、「ダメ」「まだ早い」と言って
隠そうとしたり誤魔化しても
逆に興味をそそるだけだし、あまり意味がない。

これだけ性がオープンになったのなら
その責任として、性教育もきちんとしないといけない。


性教育を曖昧に受けてきた私達が
どうやって、自分の子供達に
きちんとした性教育ができるのだろうか。


誰が教え方を教えてくれるんだろう。


<ここにも衝撃的な小学生H話が・・・!!>
http://blog1.fc2.com/aiha/tb.php/81


教育実習生のつぶやき 2

授業中にいっつもふざけようとする男子生徒がいた。
隣の子にちょっかいをかけたり、横を向いて座ったり
目の前で堂々と寝ようとする。
私も高校生のときは寝ていたけれど
中学生の時は授業中は一応起きていた気がする。
(大学になってからは当然のように寝ているけれど。)
この中学校の雰囲気としてもみんな寝ていなかったので
いわゆる反抗的な生徒のように目に映った。

指導教官が教室の後ろから来て、その子を怒った。
中学生とは言えども男子生徒は体も声も大きくて
教官との口論は迫力があった。
私はドキドキしてたじろいでしまっていた。

毎時間のように授業を放棄されては私も困った。
プリントを配ったときに、その男子生徒が寝ようとしてたので
今回は注意をすることにして傍に行った。

「ほらっ、プリントやろうよっ」

font color="#003366">「あぁ~~~~?」(怖い目)

「(ビクビク)ほら、問題少しだからやってみよ?」

「わかんねーんだよーーー」

「どれどれ、どれがわかんない?どの問題?これ?」

「全部だよー」

「ようし、はじめっからみてみよー。
この I はわかるよね?その後の go は?」


この辺から少し時間をつかって詳しくみていった。
周りの子はプリントを終えてこっちを見ている。
その男子生徒はだんだん照れくさそうに
少しずつ私の質問に答えはじめた。
一問なんとかできたところで
「できたじゃなーーーい!」と誉めると
恥ずかしそうに少し笑った。
もちろんその後の問題は解いてくれなかったが。

彼は怖そうにしているけれど、実は甘えているようだった。
構ってほしい、自分に注目してほしい、と言っているようだった。


他の方法でアプローチする生徒も多い。
授業中私が説明していても、別のことを話しかけてくる生徒や
いきなり立ち上がって他の子の所に行く生徒、
目の前で堂々とプリントに落書きばかりしている生徒。
みんな、こちらが注意すると恥ずかしそうに照れる。
むしろ喜んでいるようにも見える。

教育実習生の若い先生が期間限定で来てるので
関わりを持ちたがっているのもあるだろうが
それにしても甘えたがっている子が多い。

でも、甘えたいことをストレートには表現してこない。

それを常に相手をしてはいられない。
実際、最初に言った男子学生のケースでは
まわりの生徒が「家庭教師みたい」と言っていた。
限られた授業時間で30人相手では
一人ひとりを構っていられない。

でもなんだか少し彼らが
かわいそうに感じた。

教育実習生のつぶやき

このあいだ、教育実習で中学校で英語を教えました。
そのとき思ったことなどを少し…。

++++

1年生と2年生の英語を教えてきた。
2つの学年はぜんぜん違う特徴を持っていて、
私がよく悩んだのは2年生だった。

2年生は発音練習の時に声がでない。
恥ずかしがってまわりを伺うばかりだ。
英語はしゃべる教科。声を出す教科。
他の科目は(音楽を以外は)どれもしゃべることを強要しない。
でも英語はコミュニケーションの道具なので
発音の練習をしないと意味がない。
特に指導要領の改正でコミュニケーション能力が重視され
発音、会話重視の教科書となっている。
だからどうしても大きな声で発音してほしかった。
私は何度も悩んだ。

2年生が声を出さないのは、周りを気にしているからだろう。
 間違ってはいけない。
 間違えると笑われる。
 大きな声を出すことは恥ずかしい。
英語の時間で声が出ないのは、授業だけの問題ではなく
普段からクラス内に信用ができているか、の問題だ。
声を出しても間違っても笑われない、そんな信頼感が
自由な発言、自由な発声の前提である。

そんなクラスの信用をあたしがたった5週間で築けるはずもない。

私ができることと言えば、毎回の授業の
雰囲気を盛り上げることくらいだった。
それから毎日、私はハイテンションな先生で有名になった。
3つ先のクラスに聞こえるくらい声を出し、
教室中を動き回り、
ニコニコと常に笑いながら冗談をいい、
インドの笑い話をした。

楽なことではなかったし、非常に疲れた。
自分としても、淡々と普通に授業を進めるほうが楽だった。
教科書を訳して、文法を教え、適当に発声練習する。
つまらないけれど効率的で楽な授業になる。

でもつまらない授業をうける生徒はもっとつまらない。
つまらなそうな生徒を相手にするあたしもつまらない。

悪循環。

結局あたしはハイテンションな授業を選んだ。
手を抜くことはいくらでも出きる。楽もできる。
結局、目の前に生徒という相手がいても、
戦う相手は自分だった気がする。



大学生の時は人を相手にすることなんて滅多にないのに
社会では人を相手にすることばかりなんだろうな。

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KANA

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北海道で現在失業中。これまでたてていた人生計画が大きく変わろうとしている時期。6月からニュージーランドに渡航を計画中。
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